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薄荷(ハッカ):北見の畑が、いちど世界の7割をつくった夏の話

ストーリー
薄荷ハッカミント香りの歴史北見ルームフレグランス

夏の、あのスースーする匂い

子どものころ、夏になると母が小さな茶色い瓶を出してきました。ハッカ油です。

お風呂に一滴垂らすと、湯船からあがった瞬間、肌の上を冷たい風が走るような感覚がありました。実際には風など吹いていない。それなのに涼しい。子ども心に「これは魔法だ」と思っていたのを覚えています。

大人になってから、あの清涼感の正体がメントールという分子で、別に肌の温度を下げているわけではなく、冷たさを感じる神経のスイッチを直接押しているだけだと知って、少しだけ夢が壊れました。涼しくなった気がするだけで、汗はちゃんとかいている。身も蓋もない話です。

ただ、もうひとつ知って驚いたことがあります。

あの茶色い瓶の中身、つまり日本の夏の「スースー」を担ってきたハッカが、かつて北海道のある町で、世界市場の7割をつくっていた時代があったということ。日本の片隅の開拓地が、地球上のハッカの大半を供給していた。そんな話を、これから書きます。

北見ハッカの隆盛と衰退の年表

開拓地に、ハッカが植えられた

話は明治にさかのぼります。

1896年(明治29年)、薬剤師の渡辺精司が、鳥取・米子からハッカの種を持って北海道へ渡り、湧別村(現在の北見市周辺)にそれを植えました。これが、のちに「北見ハッカ」と呼ばれる産業の最初の一粒です。

なぜ北の開拓地でハッカだったのか。理由は単純で、ハッカは荒れた土地でも育ち、収穫した葉から採れる薄荷油が軽くて高価で、遠くまで運んで売れたからです。米のように土地を選ばず、毛皮のように相場が荒れず、何より「香り」という付加価値が最初から付いている。入植したばかりで現金収入の乏しい開拓農家にとって、ハッカは天からの作物でした。

オホーツクの冷涼な気候と、火山灰質の水はけのよい土壌。この組み合わせが、たまたまハッカに恐ろしく合っていた。植えてみたら異様に質のいいものが採れた、という幸運から、すべては始まります。

ハッカ成金と、ハッカ御殿

産業として本格的に火がついたのは昭和に入ってからです。

1933年(昭和8年)、ホクレンが北見に薄荷工場を操業させ、精製された結晶ハッカが本格的に世界へ輸出されるようになります。そして1939年(昭和14年)、北見産ハッカは世界の薄荷市場の約70%を占めるに至りました。作付面積はおよそ21,000ヘクタール、薄荷油の生産量は780トン。地球上で使われるハッカの、3本に2本以上が北見産だった計算になります。

当然、儲かりました。

ハッカで財を成した農家や仲買人は「ハッカ成金」と呼ばれ、その象徴がいまも残っています。1937年(昭和12年)、ハッカ商・五十嵐弥一が建てた私邸、通称「ハッカ御殿」(旧五十嵐家住宅)です。棟梁がひとりで3年がかりで仕上げたと伝わるこの邸宅には、一刀彫の彫刻欄間をはじめ、当時の景気の良さがそこかしこに刻み込まれています。

葉っぱが、御殿を建てた。

冷静に考えるとなかなかすごい話です。北の果ての開拓地で、ミントの匂いが、彫刻欄間に化けた。香りというものが、いかに人を狂わせる商品かがよくわかります。

和ハッカの、甘くない清涼感

ここで、香りそのものの話をさせてください。

北見で育てられていたのは「和ハッカ(ニホンハッカ)」、学名 Mentha canadensis var. piperascens です。私たちがカフェやお菓子で出会う西洋のペパーミント(Mentha piperita)とは、そもそも別種にあたります。

最大の違いは、メントールの含有率です。

西洋ペパーミントの精油に含まれるメントールが概ね50〜60%なのに対し、和ハッカは65〜85%。ミントの仲間のなかでも飛び抜けてメントールが多い。だから、和ハッカの香りは鋭い。甘さがほとんどなく、まっすぐに突き抜ける清涼感があります。

ペパーミントが「甘く爽やかなミント」だとすれば、和ハッカは「甘さをそぎ落とした、キレだけのミント」。鼻に抜ける速さが違います。スペアミントに含まれる甘いカルボンのような成分が少ないぶん、ごまかしが効かない。潔い香りなのです。

日本の夏のあの「スースー」が、欧米のミントよりもどこか硬質で、銭湯やハッカ飴を思わせるのは、この和ハッカ特有のメントール濃度の高さに理由があります。私たちが「和の清涼感」として記憶しているのは、実はかなり個性の強い香りだったわけです。

1983年、ふたつのことが同時に起きた

栄えるものは、いつか曲がり角を迎えます。

戦後、ハッカの王国は静かに崩れていきました。理由はいくつも重なります。貿易の自由化で安い外国産ハッカが流れ込み、人件費は上がり続け、そして決定的だったのが、石油を原料にした合成メントールの登場でした。

天然のハッカは、植えて、育てて、刈って、蒸留して、結晶にする。手間も土地も時間もかかります。一方、合成メントールは工場で安定して大量に作れて、品質も均一で、相場にも左右されにくい。香料として「足りている」のなら、わざわざ畑を耕す必要はなくなっていきました。

そして1983年(昭和58年)、象徴的なことが二つ、ほぼ同時に起こります。

ひとつは、北見の薄荷工場が閉鎖されたこと。世界の7割を担った産業の、ひとつの終止符でした。

もうひとつは、同じころ高砂香料工業が、不斉合成という新しい技術でl-メントールの量産化を確立し、その名を一躍世に広めたこと。畑のハッカが幕を下ろした、まさにその年に、研究室のハッカが本格的に立ち上がった。

オホーツクの畑で77年かけて積み上げたものが、フラスコの中の分子に追い抜かれた瞬間です。皮肉な符合と言うほかありません。1990年代には、産業としての日本のハッカ栽培は、ほぼ途絶えました。

それでも、夏になると思い出す

いま、北見にはハッカ記念館と薄荷蒸溜館が残り、ハッカ御殿が当時の景気を静かに伝えています。畑の規模はかつての面影もありませんが、和ハッカそのものが消えたわけではありません。

近年は、あの硬質なキレを惜しむ人たちの手で、北見をはじめ各地で和ハッカが少しずつ育てられています。西洋ペパーミントにはない、甘さを削いだまっすぐな清涼感は、合成メントールでは出しきれない「揺らぎ」を持っている。効率の物差しでは最下位でも、香りの物差しでは、いまだに代わりがいないのです。

私は夏になると、リビングに和ハッカ系のルームスプレーをひと吹きします。窓を開けて風を通した部屋に、あの甘くないスースーが広がると、肌の温度は一ミリも下がっていないのに、なぜか涼しい気がする。子どものころ、母の茶色い瓶に騙されていたのと、まったく同じ錯覚です。

でも、それでいいのだと思います。

香りは、温度を下げるためにあるのではありません。「涼しい」と感じたあの夏を、もう一度連れてくるためにある。北の開拓地が世界の7割をつくった狂騒も、御殿を建てた葉っぱの話も、いまの私の部屋には届きません。届くのは、ただスースーという、あの感覚だけです。

そして毎年、その感覚で十分に夏が来た気がするのだから、ハッカというのはやはり、ちょっとした魔法なのだと思います。

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