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パチュリ:60年代の反逆児が、なぜ高級調香の『縁の下の力持ち』になったのか

ストーリー
パチュリ香りの歴史ヒッピー調香ベースノートルームフレグランス

「ああ、あの匂いね」と言われる香り

香りの話をしていて、ふと「パチュリって知ってます?」と聞くと、わりと高い確率で微妙な顔をされます。

「ああ、あの……ヒッピーの匂いの?」

そう、あの匂いです。土っぽくて、少しカビ臭くて、お香屋さんの奥から漂ってくる、あの。正直に白状すると、私自身も長らくパチュリのことを「アジア雑貨店の床の匂い」くらいにしか思っていませんでした。香水の成分表に「Patchouli」と書いてあると、なんとなく身構えてしまう。そういう香りでした。

ところが、です。

あなたが「いい香りだな」と思って買ったその香水のかなりの割合に、実はパチュリが入っています。しかも、わりと中心的な役割で。世間から「あの匂い」と煙たがられている張本人が、高級調香の屋台骨を静かに支えている。

この落差はどこから来たのか。土臭い反逆児が、どうやって紳士服のように仕立て直されたのか。パチュリという香りの、堕ちて、また昇った物語を書きます。

パチュリの評価の振り子:本物の証から、ヒッピーの烙印、そして調香の土台へ

ペイズリー柄は、パチュリの匂いで本物を見分けた

時代を18世紀までさかのぼります。

当時のヨーロッパの上流階級を夢中にさせたものに、カシミアショールがありました。インド・カシミール地方で何世紀も手織りされてきた、あの繊細な織物です。東インド会社の士官たちが、妻への土産にこれを持ち帰った。やがてフランスでは、皇后ウジェニーがパチュリの香るショールを羽織る装いを流行らせ、ショールは社交界の必需品になります。

ここでパチュリが登場します。

カシミールでショールを船積みするとき、職人たちは乾燥させたパチュリの葉を生地のあいだに何枚も挟みました。理由は実用的で、虫除けです。パチュリの強い香りが、長い航海のあいだ虫からショールを守る。

ところが、この防虫対策が思わぬ副産物を生みます。ヨーロッパに着く頃には、ショールにパチュリの香りがすっかり移っている。そして人々は学習しました。「本物のインド製ショールは、この匂いがする」と。

やがてイギリスのペイズリーやスコットランドの織物業者が、この柄を機械織りで安く模造しはじめます(「ペイズリー柄」の名は、この産地から来ています)。けれど目利きの貴婦人たちは騙されませんでした。手に取って、匂いを嗅ぐ。パチュリの香りがしなければ、それは偽物。

困った模造業者たちは、どうしたか。

自分たちのショールにも、わざわざパチュリを焚き込んだのです。香りがブランドの真贋を握っていた。これは香りの歴史の中でも、かなり早い時期の「匂いによる本物保証」の例だと私は思います。土臭いと言われるあの香りは、もともと「高級と本物の証」として海を渡ってきたわけです。

反逆の香りになり、そして「あの匂い」になった

ここまでは栄光の話です。振り子は、20世紀後半に逆へ振れます。

1960年代から70年代。アメリカとヨーロッパの若者たちが、既成の価値観に背を向けはじめた時代です。彼らの一部は「ヒッピー・トレイル」と呼ばれる道を通って、ヨーロッパからインド、ネパールへと旅をしました。そして東洋の精神世界やお香、インド更紗とともに、パチュリのオイルを持ち帰った。

パチュリは、この世代にぴったりの香りでした。

安く手に入る。少量で強烈に香る。そしてインド、瞑想、東洋という、当時の若者が憧れたものの記号をまとっている。合成のものを嫌い、自然なものを良しとする彼らにとって、この土の香りは「反体制・反人工・反常識」の旗印になりました。身につけるだけで、自分がどちら側の人間かを表明できる香り。

ついでに、もっと身も蓋もない用途もありました。共同生活の体臭をごまかすのに都合がよく、さらに言えば、あまり大きな声では言えない煙の匂いを覆い隠すのにも重宝した、と。香りの教養の本にはあまり書かれませんが、史実です。

問題は、この強烈な刷り込みが、香りそのものに焼き付いてしまったことでした。

ブームが去ったあと、パチュリに残されたのは「ヒッピーが体を洗わない代わりに振りかけていた、あの土臭い匂い」という不名誉なレッテルです。本物のカシミアの証だった過去はすっかり忘れられ、パチュリは香水売り場で「できれば避けたい古臭い成分」の側に転落しました。これが、振り子のいちばん下です。

鉄鍋で煮出される、シソ科の地味な草

ここで一度、植物としてのパチュリを覗いておきます。香りの正体を知ると、印象が少し変わるからです。

学名は Pogostemon cablin。意外なことに、ミントやシソと同じシソ科(Lamiaceae)の多年草です。あの清涼なミントの親戚が、あんなに重く土っぽい香りを出すのですから、植物は面白い。

主産地は東南アジア、とりわけインドネシアのスラウェシ島です。世界のパチュリ生産のおよそ三分の二をこの島が担い、年間1,000トン以上のオイルがここから出荷されています。

そして、その作り方がいい。

高地の村で、農家が葉を収穫し、半分ほど乾かします。それを簡素な蒸留器に詰めて、薪を焚いた火で8時間ほど蒸す。多くの場合、いまだに鉄の釜と薪という、ほとんど料理に近い設備です。葉から取れるオイルはわずか1.5〜2.5%。香りの主成分は、パチョロール(patchoulol)というセスキテルペンの一種です。

つまり、高級香水の瓶の奥にいるあの香りは、もとをたどれば、南の島の村で薪の火にかけられたシソ科の葉から、ことこと煮出されたものなのです。「土臭い」と言われても仕方がないくらい、本当に土に近い場所で生まれている。

そしてパチュリには、もうひとつ風変わりな性質があります。

たいていの精油は、時間が経つと劣化します。香りが痩せ、角が立つ。ところがパチュリは逆で、寝かせるほど良くなる。3年、5年、10年と熟成させると、最初にあった樟脳のようなツンとした角が取れ、まろやかで、深くて、ダークチョコレートのような甘い闇が立ちのぼってくる。ワインや出汁のように「育つ」香りなのです。

ヒッピーが振りかけていた安価な新酒のパチュリと、調香師が10年寝かせた古酒のパチュリは、同じ植物でもまるで別物だった。世間が嫌っていたのは、たぶん前者だけです。

1992年、天使が評判をひっくり返した

転機は、思いがけない形でやってきます。

1992年、ティエリー・ミュグレーが発表した香水「エンジェル(Angel)」。甘いプラリネやキャラメルのような香りで一世を風靡したこの香水の土台に、パチュリが大胆に据えられていました。しかも、土臭さを削ぎ落とした、洗練された画分(フラクション)として。

これがヒットしたことで、調香師たちの中の何かが切り替わります。「パチュリは古臭い」のではなく、「使い方しだいで、これほどモダンになる」と。以降の30年で、ニッチ香水と高級ブランドはこぞってパチュリを上品に仕立て直し、ヒッピーの烙印をほぼ完全に塗り替えてしまいました。

なぜ調香師はパチュリを手放さなかったのか。理由は、香りの構造そのものにあります。

パチュリは、ベースノート、つまり香りの土台を担う素材です。しかも定着剤(フィクサティブ)として一級品で、揮発しやすい上のノートを引き止め、香りを長持ちさせる力がある。試香紙に垂らすと、数週間も香りが残るほどの持続力です。

香水の世界には「シプレ」という古典的な構成があります。ベルガモットの明るさ、オークモスの苔、ラブダナム、そしてパチュリ。この土っぽい闇が下で踏ん張ってくれるから、上の柑橘がぱっと映える。オリエンタル系でもパチュリはバニラやアンバーを支え、モダンなウッディ系では密度と持続力を与える。

主役の華やかな香りが拍手を浴びているとき、舞台の床を支えているのがパチュリです。自分は目立たず、ほかの香りを引き立て、最後まで現場に残る。「縁の下の力持ち」という言葉が、これほどしっくりくる素材もありません。

反逆児だったはずの香りが、いつのまにか、いちばん信頼される裏方になっていた。人生にもありそうな話です。

振り子の、いちばん落ち着くところ

パチュリの評価は、ずいぶん大きく揺れてきました。

本物のカシミアの証として珍重され、ヒッピーの旗印として持ち上げられ、そのあと「あの土臭い匂い」として嫌われ、いまは高級調香の土台として静かに尊敬されている。同じひとつの香りが、時代によってこれほど違う顔で語られるのは、なかなかありません。

面白いのは、パチュリ自身は何も変わっていないことです。スラウェシの高地で、農家が薪の火で葉を煮る。その営みは18世紀からほとんど同じ。変わったのは、私たちがその香りに何を読み取るか、それだけでした。香りの評価とは、結局のところ、その香りを嗅ぐ私たちの側の物語なのかもしれません。

そして今、振り子はちょうどいいところに落ち着いている気がします。流行の旗印でもなく、嫌われ者でもなく、「土の香りを部屋に置く」という、ごく落ち着いた楽しみ方として。

雨上がりの森の匂い、湿った土、削りたての古い木、奥のほうにあるダークチョコレートの甘い闇。パチュリの香りを部屋にひとつ置くと、空間にすっと低い重心が生まれます。華やかな花の香りとは逆の、足元から支えてくれるような安心感。一日の終わり、照明を落としたリビングに、いちばん似合う香りだと私は思っています。

「ヒッピーの匂い」と言われたら、こう返してあげてください。「いや、もともとは本物のカシミアの証だし、いまは高級香水の土台ですよ」と。たいてい、微妙な顔をされます。それも含めて、パチュリらしい。


土や木の香りを部屋に置く話を、もう少し続けたいときは、根の香りをめぐる ベチバーの物語 や、日本人の記憶に染み込んだ ヒノキの物語 もどうぞ。素材が時代とともに姿を変える話なら、消えゆく森を扱った 白檀(サンダルウッド)の物語 と合わせて読むと、香りの裏側がもう少し立体的に見えてきます。