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1992年、香水に『緑茶』が入った日。ジャン=クロード・エレナが2つの分子で再現したお茶の話

ストーリー
緑茶ジャン=クロード・エレナブルガリ新茶香水の素材

急須の湯気、あの数秒の青さ

新茶を淹れるとき、急須に湯を注いだ瞬間に立ち上がる、短い青い湯気の香りがあります。湯が温度を落とすほんの数秒だけ。蓋を閉じれば、もう消えています。

私はあの数秒の香りを、いつも少し惜しいと思っています。瓶に閉じ込められないものか、と。

それを35年前、本気で挑んだ人がいました。フランスの調香師、ジャン=クロード・エレナという人です。

新茶の急須から立ち上る湯気

1992年、香水に「緑茶」が入った

1992年、イタリアの宝飾ブランド、ブルガリが新作のフレグランスを発表します。名前は「Eau Parfumée au Thé Vert」(オーパフメ・オーテヴェール)。直訳すると「緑茶の香りの水」。

これが、西洋の主流香水で「緑茶」がはっきりと主役ノートに座った最初の一本だ、と香水史では位置づけられています。それまでにも「茶っぽい」と評されるブレンドはありましたが、「緑茶」と銘打って、湯気の青さを中心に据えた香水は、これが最初でした。

おもしろいのは、最初は商品として売る予定ですらなかったということです。ブルガリは宝飾品の上得意客に配る贈答品として、これを少量だけ作らせていた。香水としては変則的な始まり方をしています。

ジャン=クロード・エレナという人物

作ったのはジャン=クロード・エレナ。当時はまだエルメスの専属調香師(就任は2004年)になる前で、いくつかのブランドに香りを提供する一人のフリーランス調香師でした。

エレナは後に「香水界のミニマリスト」と呼ばれます。少ない素材で、輪郭のはっきりした、水彩画のような香り。彼の哲学はおおむね一行で要約できます。「複雑さよりも、整理された洗練を」。エルメスでHermessence(エルメッセンス)という小規模コレクションを立ち上げ、各香水を10前後の素材だけで構成して評価を集めました。

このスタイルの原点は、実はブルガリのEau Parfumée au Thé Vertにあります。1992年のあの一本が、彼の以後30年のキャリアを決めた。本人もインタビューで「あれが自分の本当の出発点だった」と語っています。

2つの分子で「お茶」を作る

ではエレナは、どうやって「緑茶の香り」を瓶に詰めたのか。

率直に書きます。茶葉そのものは、香水の中にほとんど入れられません。

緑茶の主要な香気成分、つまりcis-3-ヘキセノール(青葉のあの草っぽい匂い)、メチオナール(蒸らした葉の硫黄っぽい甘さ)、リナロール(花のような清涼感)は、どれも熱と空気に弱い分子で、しかも揮発のスピードがバラバラです。本物のお茶を蒸留しても、熱でほとんどが壊れて、残るのは「乾燥した茶葉のような枯れた香り」だけ。あの湯気の青さは出てきません。

エレナは別のアプローチを取りました。茶葉を使わずに、合成分子だけで「お茶の感触」を組み立てる、というやり方です。

1980年代の終わり、彼は実験室である発見をします。

  • Hedione(ヘディオン、メチルジヒドロジャスモネート):ジャスミンの透明感を与える分子
  • β-Ionone(ベータイオノン):スミレの粉っぽい甘さを持つ分子

この2つを混ぜると、ジャスミンでもスミレでもない、「お茶の湯気のような香り」が立ち上がる。化学的にはお茶のどの成分でもないのに、嗅覚は「これはお茶だ」と認識する。

香りの再現には、ふたつの道があります。本物の素材から成分を取り出す「自然主義」と、別の分子の組み合わせで「印象」を作る「印象主義」。エレナがやったのは後者の極端な形でした。お茶を入れずにお茶を描く。水彩画家が、緑色の絵の具を使わずに緑を表現する、と言えば近いかもしれません。

1992年Bvlgari Thé Vertから始まる緑茶ノートの系譜

ディオールとYSLに、断られた

このアイデアを、エレナは最初ディオールとイヴ・サン=ローランに持ち込みます。

両社の反応は「クリエイティブすぎる」。 端的に言えば、却下されました。

1980年代後半の香水業界は、まだ「強くてセクシーな香り」が主流でした。Poison、Opium、Obsession。名前を見ただけで濃さが伝わる時代です。そこに「お茶のような透明感」を持ち込もうとしても、「これは何の香りなんだ」と理解されなかった。

エレナは、自分のアイデアを引き取ってくれる相手を待ちます。数年間、引き出しに眠ったまま。

それを拾い上げたのが、香水ブランドではなく宝飾ブランドのブルガリでした。ブルガリには大物香水を抱える伝統がなかったので、逆に「商業的に成功している濃いめの香水」という制約から自由だった。エレナの繊細な「お茶」を、上得意客への贈り物として小さく始めることができた。

商業的に「正解」のフォーマットから離れた場所からしか、新しいフォーマットは生まれない。香水史を読んでいると何度も出てくるパターンです。Eau Parfumée au Thé Vertもその一例でした。

1992年以後の、お茶ノートの系譜

このEau Parfumée au Thé Vertは、贈答品として始まったあと正規販売され、想定を超えるヒットになります。

それから世界中の調香師が「お茶ノート」を扱うようになる。1994年、三宅一生のL’Eau d’Issey Pour Hommeが緑茶とベチバーを組み合わせる。1999年、エリザベス・アーデンが分かりやすく「Green Tea」というそのままの名前の香水を出す。2002年、コム デ ギャルソンのSeries 8: Energyが緑茶ノートを抽象化する。

すべて、1992年のブルガリなしには生まれていません。

ブルガリ自身もこのラインを広げて、Thé Blanc(白茶, 2003)、Thé Rouge(紅茶, 2006)、Thé Noir(黒茶, 2015)とお茶シリーズに育てます。出発点が「上得意客への贈り物」だった一本が、ブランドのアイデンティティのひとつにまでなった。

日本のお茶と、パリの茶葉店

ここで日本人の私たちにとって、ひとつ誇らしい事実があります。

エレナとその妻は熱心なお茶好きで、当時パリのマリアージュ・フレールという茶葉専門店に通い詰めていたという話が、複数のインタビューに出てきます。マリアージュ・フレールが当時から扱っていた茶葉のなかには、日本の煎茶や玉露がしっかり含まれています。

エレナが頭の中で「お茶」と呼んだものは、もちろん中国茶やインドの茶も混ざっていたでしょう。それでも「あの湯気のような透明感」を分子で表現しようとしたとき、彼の鼻の記憶の少なくない部分には、日本のお茶があったと考えてよさそうです。

「日本の緑茶」を、フランスの調香師が、合成分子だけで、イタリアの宝飾ブランドから、世界に出した。これが1992年に起きたことの全体像です。

新茶の季節と、空間で楽しむお茶

5月から6月、新茶(一番茶 / shincha)が市場に並ぶ季節です。八十八夜(5月2日前後)に摘まれた最初の茶葉は、cis-3-ヘキセノールの含有量がもっとも高い時期にあたります。「青い香り」が一番強く出る、ということです。

新茶を淹れているとき、湯気の中に一瞬だけ立ち上がる青さ。それを家の空間でも持続させたい、と思った方には選択肢があります。

リードディフューザーで「グリーンティ」「ジャパニーズティ」と銘打たれたものは、Eau Parfumée au Thé Vertの系譜にある製品が多く、緑茶の冷たい青さを部屋に置けます。アロマオイルとしては「緑茶」単体は珍しいですが、ベルガモットやベチバーと組み合わされた清涼系ブレンドが、お茶の感触に近い。お香では、新茶や煎茶を題材にした和の香りが、京都の老舗からいくつか出ています。

新茶の季節が終わっても、お茶の香りは年中、空間の中で再現できます。1992年以降、それは技術的に可能になった、ということです。

急須の湯気の代わりに

急須を傾けて湯を注ぐ、あの数秒の青い湯気を、瓶にそのまま閉じ込めることはできない。たぶん、これからもできません。熱と空気に弱い分子を、安定した液体に閉じ込める方法を、まだ人類は持っていない。

それでも、別の道で「お茶の感触」を再構築することは、35年前の春に、フランスのある調香師がやってのけました。お茶を一滴も入れずに、お茶を描いた。

新茶を淹れるたびに、私はあの1992年のことを少しだけ思い出します。あなたの好きな緑茶系のフレグランスのどこかに、二つの合成分子が静かに混ざっていて、それがいま自分の部屋の湯気の代わりをしている。そう思うと、空間に置く香りとの距離感が、ほんの少しだけ変わる気がします。


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