なぜ同じ香りで好きと苦手が分かれるのか:嗅覚受容体の遺伝子と「あなただけの香り地図」
同じ香水を「最高」と「石けんくさい」に二分する人たち
友人にすすめられた香水を試してみたら、相手が「最高でしょ」と目を輝かせている横で、私はどう答えていいか困った経験があります。私の鼻には、どうしても少し石けんっぽい、薬っぽい匂いに感じられたのです。気を遣って「うん、いいね」とは言ったものの、内心では「本当に同じものを嗅いでいるのか?」と思っていました。
これ、実は気のせいでも、好みの差でもありません。あなたと隣の人が同じ香りを嗅いだとき、二人の脳に届いている信号そのものが違う可能性がある。香りの感じ方が割れるのは、あなたの鼻の設計図の違いに根ざしている、というのが今日の話です。
「香りの好みは人それぞれ」とよく言いますよね。でもこの「それぞれ」の中身が、ここ20年ほどの研究でかなり具体的に解明されてきました。好みの前に、そもそも「何が見えているか」が一人ひとり違う。視力に個人差があるように、嗅覚にも設計図レベルの個人差があるのです。
鼻の中には約400種類の「鍵穴」がある
まず、香りを感じる仕組みを簡単に。
私たちが匂いを感じるのは、鼻の奥の粘膜にある**嗅覚受容体(olfactory receptor)**というセンサーが、空気中の香り分子をキャッチするからです。受容体は分子の形に反応する「鍵穴」のようなもので、香り分子という「鍵」がはまると、電気信号が脳へ送られます。
おもしろいのは、この鍵穴の種類の多さです。人間は約400種類の機能する嗅覚受容体を持っています。これは私たちの遺伝子ファミリーの中でも最大級の規模で、ゲノム全体のかなりの割合を匂いのセンサーに割いている計算になります。
この受容体を発見したのが、リンダ・バックとリチャード・アクセルの2人です。1991年に嗅覚受容体の遺伝子群を見つけ、その功績で2004年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。たった4つの味(甘・塩・酸・苦、いまは旨味を入れて5つ)しかない味覚に対して、嗅覚が400もの鍵穴を持っているという事実だけでも、人間がいかに匂いに資源を注いでいるかがわかります。
そして、ここが本題です。この400種類の鍵穴の「形」には、人によって個体差がある。遺伝子の設計図がわずかに違うと、鍵穴の形が変わり、ある分子にはまったり、はまらなかったりする。つまり、同じ香り分子が鼻に入っても、人によって受け取り方がまるで違ってくるのです。

パクチーが「石けん味」になる人の遺伝子
いちばん有名な例が、パクチー(コリアンダー)です。
パクチーを「爽やかでおいしい」と感じる人と、「石けんを口に入れたみたい」と顔をしかめる人にきれいに分かれますよね。あれは好き嫌いの問題というより、香りの感じ方そのものが違うことに原因の一端があります。
2012年、遺伝子検査サービスを手がけるEriksson(エリクソン)らのチームが、ヨーロッパ系の参加者14,604人を対象に「パクチーが石けん味に感じるか」を調べ、別の11,851人で再検証する大規模な研究を行いました。すると、第11染色体上の嗅覚受容体遺伝子の集まりの近くにある、ある一塩基多型(rs72921001)が、パクチーの石けん味の知覚と関係していることがわかったのです。
一塩基多型(SNP)というのは、遺伝子の文字列のたった1文字が人によって違っている箇所のこと。この近くにある受容体遺伝子の一つがOR6A2で、パクチーの匂いの正体であるアルデヒド類(草を刈ったときのような匂いの成分)によく反応する受容体です。つまり、この受容体の感度が高い設計図を持つ人ほど、パクチーのアルデヒドを強く拾い、それが「石けんっぽさ」として前面に出てくると考えられています。
ちなみにこの研究で、石けん味知覚に対する遺伝の寄与は0.087と、決して大きくはありませんでした。育った食文化や慣れも当然関わります。それでも、「パクチー嫌いは甘え」みたいな話ではなく、生まれつき違う匂いを嗅いでいる人が一定数いる、というのは押さえておきたい事実です。私の母はパクチーを「殺虫剤」と呼びますが、たぶん本人の鼻の中では本当にそう感じているのでしょう。
「いい匂い」と「汗くさい」が割れる分子
もう一つ、研究の世界で有名な分子があります。アンドロステノンという、男性の体臭などに含まれるムスク様のステロイド系の物質です。
この分子に対する人間の反応は、見事に三つに割れます。「汗くさい、尿のような不快な匂い」と感じる人、「甘くフローラルで、むしろいい匂い」と感じる人、そして「何も匂わない」人。同じ分子なのに、嗅いでいる世界が三者三様なのです。
2007年、ロックフェラー大学のKeller(ケラー)とVosshall(ヴォスホール)らがこの謎の一端を解きました。鍵を握っていたのはOR7D4という受容体の遺伝子です。この受容体の設計図が「RT/RT」型の人は、アンドロステノンを強く不快に感じる。一方、「WM」という変異を持つ人は受容体の働きが弱まり、同じ分子を嗅いでも不快感が薄かったり、まったく匂わなかったり、人によってはバニラのように甘く感じたりする。
受容体の設計図が1〜2文字違うだけで、「うっ」となるか「いい匂い」と思うかが分かれる。香水のムスク系を「色気がある」と褒める人と「なんか動物くさい」と敬遠する人がいるのは、しばしばこのレベルの違いなのです。好みのセンスの問題に見えて、実は鼻の配線の問題だった、というのは少し痛快な話だと思いませんか。
スミレの香りを「酸っぱい」と感じる人
三つめの例は、スミレのような優雅な香りで知られるβ-イオノンという分子です。化粧品や香水で広く使われる、上品なフローラルノートの代表格です。
2013年、Jaeger(イェーガー)らの研究で、このβ-イオノンの感じ方を左右する受容体遺伝子OR5A1の特定の変異(rs6591536)が見つかりました。驚くべきことに、この一箇所の違いだけで、β-イオノンへの感受性の差の9割以上が説明できるといいます。
感受性が高い設計図を持つ人は、β-イオノンを「華やか」「フローラル」とはっきり感じ、好ましく思う傾向がある。一方、感受性が低い人は、同じ香りを「酸っぱい」「ツンとする」と感じたり、そもそもあまり匂いを拾えなかったりする。香水カウンターで「これ、スミレの上品な香りですよ」とすすめられても、ある人にとっては酸味のあるよくわからない匂いにしかならない、ということが普通に起こりうるのです。
パクチーのアルデヒド、汗のアンドロステノン、スミレのβ-イオノン。三つとも、たった数文字の遺伝子の違いで知覚がひっくり返る実例です。
ある匂いだけ嗅げない「特定無嗅覚」
ここまでの話を突き詰めると、ある現象にたどり着きます。**特定無嗅覚(specific anosmia)**です。
これは、全体としては普通に匂いを感じられるのに、特定の分子だけがどうしても嗅げないという状態のこと。アンドロステノンを「無臭」と感じる人は、まさにこの特定無嗅覚にあたります。受容体の設計図がその分子に反応しない形をしていると、その匂いだけがその人の世界から抜け落ちるわけです。
色覚に置き換えるとイメージしやすいかもしれません。特定の色だけ見え方が違う人がいるように、特定の匂いだけ感じ方が違ったり、感じられなかったりする人がいる。しかも嗅覚は受容体が400種もあるので、組み合わせは天文学的です。理論上、自分とまったく同じ「匂いの見え方」をする他人は、ほぼ存在しないと言っていい。
つまり、あなたが嗅いでいる香りの世界は、文字どおり世界に一つだけの地図なのです。
だから「万人に最高の香り」は存在しない
ここまで来ると、ひとつの結論が見えてきます。
すべての人にとって最高の香り、というものは原理的に存在しない。
ベストセラーの香水も、SNSでバズった人気のディフューザーも、あなたの鼻の設計図に合うとは限りません。レビューで「うっとりする」と絶賛されている香りが、あなたには酸っぱく、あるいは石けんくさく、あるいは何も感じられないことが、生物学的に普通に起こる。これはあなたのセンスが悪いのでも、流行についていけていないのでもありません。単に、鍵穴の形が他人と違うだけです。
私はかつて「人気ランキング1位」を信じて高い香りを買い、自分の部屋でまったく心が動かず、お金を溶かしたことがあります。あのときの敗因は、ランキングを作った何千人の鼻と、私の鼻が別の設計図だったこと。ランキングは多数派の地図であって、私の地図ではなかったわけです。
香りの好みが人で違うのは、気分やセンスの上澄みの話ではなく、遺伝子という土台に根ざしている。だからこそ、「みんなが良いと言う香り」ではなく「あなたに合う香り」を、一人ひとり別々に探す意味がある。香りこそ、パーソナライズが科学的に正当化される数少ない分野なのです。
自分の「香り地図」を描くという発想
では、世界に一つだけの自分の鼻と、どう付き合えばいいのか。実用的な話に落とします。なお、ここで扱うのはあくまでお部屋用・空間用の香りの選び方で、肌に付ける使い方の話ではありません。
ひとつめは、好き嫌いを「記録」してみること。「このムスク系は苦手」「柑橘の中でもグレープフルーツは好き」「ウッディ系はだいたい落ち着く」。こうしたメモが溜まってくると、自分の鼻がどんな分子に強く反応し、どんな分子を心地よく感じるかの傾向、つまりあなただけの香り地図が見えてきます。苦手な香りも、欠点ではなく地図の貴重な目印です。
ふたつめは、いきなり大きいボトルを買わず、サンプルや少量から試すこと。これは節約術というより、設計図が読めない以上は実地で確かめるしかない、という嗅覚の必然です。レビューの星の数より、自分の鼻で嗅いだ一回のほうが、あなたにとっては正確なデータになります。
みっつめは、同じ香りに慣れて感じなくなる現象を踏まえること。ずっと同じ香りを嗅いでいると鼻が順応して感じにくくなります(嗅覚順応)。地図を描くときは、嗅ぎ疲れていない状態で判断したほうが正確です。順応のメカニズムと対策は香りに慣れて感じなくなるのを防ぐ3つの方法にまとめています。
そして、地図づくりの精度を上げるもう一つの軸が「自分はどういう人間か」です。覚醒したい人とほどけたい人では、心地よく感じる香りの方向が変わってきます。香りと性格の関係についてはなぜ性格に合わせて香りを選ぶべきなのかで詳しく書いています。受容体の設計図(生まれ)と、暮らし方や性格(いまの自分)。この二つを掛け合わせると、地図はぐっと解像度が上がります。
なお、ここで紹介したのは研究知見の紹介であって、特定の遺伝子検査や効能を勧めるものではありません。香りの感じ方には個人差があるという前提で、肩の力を抜いて付き合うのが現実的だと思います。
まとめ:あなたの鼻は、世界に一つの設計図
今日の話を整理します。
- 人間は約400種類の嗅覚受容体(匂いの鍵穴)を持ち、その形には遺伝的な個人差がある。
- OR6A2とパクチーの石けん味、OR7D4とアンドロステノン(汗のムスク様)、OR5A1とβ-イオノン(スミレ様)。たった数文字の遺伝子の違いで、同じ分子の感じ方がひっくり返る。
- ある分子だけ嗅げない特定無嗅覚もあり、自分とまったく同じ香りの世界を持つ他人はほぼいない。
- だから「万人に最高の香り」は原理的に存在せず、香りはパーソナライズが科学的に正当化される分野になる。
「香りの好みは人それぞれ」という言葉を、私はずっとふんわりした社交辞令だと思っていました。でも本当に、文字どおり、一人ひとりの鼻の中の設計図が違っていた。だとすれば、隣の人がうっとりする香りに自分の心が動かなくても、それは何の問題もありません。あなたはあなたの地図を持って、自分の鍵穴に合う香りを探せばいい。
ちなみに、例の「石けんくさい」と感じた香水を私にすすめてくれた友人とは、いまだに香りの趣味が合いません。でも今は、それを「センスの違い」ではなく「設計図の違い」として、わりと楽しく受け止めています。お互いの鼻が別の地図を持っている、というだけの話ですから。
参考文献
- Buck, L., & Axel, R. (1991). A novel multigene family may encode odorant receptors: A molecular basis for odor recognition. Cell, 65(1), 175–187.(2004年ノーベル生理学・医学賞)
- Eriksson, N., et al. (2012). A genetic variant near olfactory receptor genes influences cilantro preference. Flavour, 1, 22.
- Keller, A., Zhuang, H., Chi, Q., Vosshall, L. B., & Matsunami, H. (2007). Genetic variation in a human odorant receptor alters odour perception. Nature, 449, 468–472.
- Jaeger, S. R., et al. (2013). A Mendelian trait for olfactory sensitivity affects odor experience and food selection. Current Biology, 23(16), 1601–1605.
この記事は役に立ちましたか?